古くて懐かしい絆の復旧。
心に効く言葉のかたまり。
シンクロニティ。
病気はメッセージか
それとも願ったからかなっているのか
メンタル系のひとで後者のように
原因と結果、因果応報を後説く人がいる。
私は小さい頃から長距離走が大の苦手で
正直、病気になればマラソン大会
参加しなくても済むのに…
ぐらいは願ったことある。
でも
死ぬほど嫌で子ども心に強く強く願ったか?
そんなことは無い。
なのにそれが叶っちゃったのか?
そんな願いが?
いつも願ってたわけでもないのに?
と思うと、腑に落ちない。
明日テストだから学校行きたくなくて
学校なくなればいいのに
とかネガティブな願いがよぎる人
口にする人って普通にいる。
児童文学の「晴れ時々ぶた」って話は
そんなこと無いのに
そんなことになっているから
面白おかしいストーリィなわけで。
病気になって働けなくて何も出来ない
自分の無力さを晒しながら生きる大人に
なりたいだなんて誰が思い願うか??
手遅れだった人は?
突如事故死した人は?
どんなことにも全て意味はあるけれど
自分のためではなく、誰かの修行のための
因果応報である…ということだろうか。
じゃあ、誰の役に立っているのだろう?
複雑な配線の都合でわからないが
とんでもない場所のどこかの誰かのためか?
確かに自分のしたことは何らかの結果となって
必ず自分にかえってくるだろう。
それは間違いない。
けれど、けっして自分が願ったから
それがそのままかなえられるってワケじゃない
らしい。
と身をもって感じるクリスマス。
誰かの幸せを願おう。
誰かわからないからみんなの幸せを。
